真帆
―あなたが娘でよかった―

                 内梨昌代・真帆 著
                四六判上製260頁 定価1680円


もくじ真帆さんのたたかい真帆さんの言葉感想問い合せ

涙のあと、あなたは
愛といのちの輝きを
みつけるでしょう。

  内梨真帆さんは、1996年、小学校6年生の時に、右脳に腫瘍が見つかり最初の手術をうけました。それから8年、20回に及ぶ手術や、放射線療法、化学療法など苦しい治療に耐えて、医師や看護師、周囲の人々を驚かしてきました。
 度々の危機を乗り切って、医師をめざすという自分の夢(シェア)の実現のためにがんばってきました。その姿に、多くの人が励まされました。
 しかし、繰り返す再発の度に、少しずつ体の機能を失っていき、ついに「奇跡」を起こすことはできず、2005年1月23日、還らぬ人となりました。真帆さんとのお別れには、生前交流のあった500人もの人が、かけつけました。

 真帆さんが出版をめざして書いてきた闘病記は未完におわりました。「もしものときはママが完成させるのよ」といっていた彼女の遺志をついで、交流のあった多くの人々に励まされながら、母親・昌代さんがこの本を完成させました。


もくじ

プロローグ
chapter1 誕生から発病まで
chapter2 発病――真帆の自書
chapter3 再発――真帆の自書
chapter4 腫瘍の多発――真帆の自書
chapter5 大量化学療法――真帆の自書
chapter6 高校入学・頸動脈破裂
chapter7 高校退学・繰り返す再発
chapter8 顔面神経切断
chapter9 放射線怪死と視力低下
chapter10 手のマヒ
chapter11 日本最北端への旅
chapter12 足のマヒと車椅子生活
chapter13 のどへの再発
chapter14 気管切開と死の宣告
chapter15 失われていく機能
chapter16 成人式
chapter17 最後のメッセージ
エピローグ

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真帆さんのたたかい

1984.10.6  内梨家の長女として誕生
1990.4    小学校入学
1992.5.11  最愛の弟・翼誕生
1996.11   右脳に腫瘍 最初の手術
        放射線治療開始
1997.4    守口第四中学に入学
1998.2    右大脳に腫瘍 手術
1998.10   守口市弁論大会で発表
1999     中学3年、右側頭葉、小脳との境、リンパ節腫瘍など手術5回
       このころ「運命の人」と出会い医師になる決心をかためる
        化学療法開始
2000.2    白血球ゼロ近くに
2001.4    四条畷高校に入学
2001.7    再発、この年手術3回。生死の境を乗り越える
2002.3    高校を自主退学
2002.8   11回目の手術直後に大検を受験し合格
2003.1   センター試験受験(2次は再発のため棄権)
       上半身のマヒ
       この年手術4回、顔面神経を切断
2004.6   大好きなDr.と北海道旅行、日本最北の地に立つ
       この年手術4回、気道確保の気管切開術が20回目で最後の手術となる
2004.7.8  身体障害者認定2級、左上肢全廃、左下肢軽度機能傷害。8月には1級認定
2005.1.15  成人式に弟が代理で出席
2005.1.23  午後11時06分死去

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 阪大病院小児科病棟。ともに病気とたたかう「戦友」たち、小さな子どもたちのいのちが消えてゆく。中学生だった真帆はその理不尽さに憤り、なんとしても医師になろうと決心した。


 まだ一歳にもならず、片言をしゃべってつかまり立ちし、とてもかわいい赤ちゃんだった。その子がはじめてしゃべった言葉は『パパ』でもなく『ママ』でもなく、それは『いちゃい、いちゃい(痛い、痛い)』だった。私はこの世に神はいないと思った。許せなかった。……ショックだった。私はこの時、絶対に医者になってやろうと思った。……学校に通って授業を受けることさえできない私だが、必ず気力でやってやろうと思った。

  真帆は度重なる再発、手術で高校も中退せざるを得なかったが、病室で独習を続け、大検に合格、阪大医学部をめざしてセンター試験に挑んだ。

 メールをもらうだけで元気が出た。奇跡を起こせる気になった。大好きなDr.と二人旅、最高の幸せ。不自由な体で日本最北の地をめざした。

 幸せだった。予想外の最高のひとときだった。手術で頑張った自分へのご褒美だ !! 忙しい中、会いに来てくれてありがとう。私はやっぱり最高の幸せ者だ。
 先生、ありがとう。最高だったよ。生き抜いていくうえで、大切ないろいろなことが学べたと思う。体は疲れたけど、心はフルに充電できた。ほんとうにありがとう。

  真帆が「運命の人」とよぶDr.との出会いは彼がまだ研修医だったころ。真帆さんの日記はDr.のことでうめつくされている日々が多い。周囲に気を配り、弱音をはくことのなかった真帆さんも、Dr.へのメールにはつらい気持ちを打ち明けていた。Dr.の話をするときは顔が真っ赤になった。そんなどこにでもいる女の子だった。

 「神様は耐えられる試練しか与えないんだよ」「人間は生きる長さじゃない。生きている内容なのだ」どんな苛酷な状況でも彼女は動じることなく、いつも明るくふるまって周囲を驚かせた。


 頭の手術で局部麻酔というから何故かワクワクした。局麻だとスタッフの声やその場の状況がとてもリアルにわかりそうだと思われて…(オンマヤチューブ設置手術に際して)
 スリリングな人生、この先いったい何が待っているのか。でもそれも人と違ってなかなか味があると思い始めた。そう思わなきゃやってられない。(顔面神経切断から、手足の障害が広がる中で)

  「医師として患者さんを尊敬したのは真帆ちゃんがはじめてです。ありがとう」主治医はそういって真帆を見送った。

 彼女は人を動かし、人を変え、人を寄せた。人が人を変えるなんて、たやすくできることではないのに。まして自分は苦しみの中にいて。

  

 ありがとう。

  中学で担任だった寺倉先生とは文字通り「親友」のような仲だった。9歳年上の恵姉さんは病気で落ち込んでいた時、真帆と知り合って励まされ、本当の姉妹のようにつきあうようになった。書道家の畑中先生は手術をこわがっていたが、真帆の影響で手術を決心し、以後彼女を見守り支えとなる存在になった。そのほか数え切れない人たちが真帆のまわりに集まっていた。真帆はそれらの人々から多くのことをまなんで成長した。真帆が遺した日記にはそれらの人々に対する「ありがとう」のことばがちりばめられている。

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